尼崎青年会議所 広報委員会 池田委員が地域のボランティア団体(保護猫活動)を通じて交流のある、モデルと芸人のハイブリッドの”モデル芸人”また”尼崎市出身”の星咲英玲奈 様にインタビューを行わせて頂きました。
壮絶な留学体験
池田
今日はありがとうございます。
自己紹介の方、お願いします。
星咲
尼崎市で生まれて、尼崎市で育ちました。15歳の時にニュージーランドに留学しまして、ニュージーランドのネイピアに留学をしたのですが、イエスかノーしか話せないぐらいの英語力でしたが、そこから1年間滞在し、帰国してからは大分県の大学に通い、その後は沖縄で3年間働いて、今現在はモデル芸人として東京で活動しております。
池田
ありがとうございます。
ニュージーランドに留学に行った時、英語がわからなかったという話だったのですけど、どうやって英語を勉強されたのですか?
星咲
何か言われると、全て「イエス」と答えて「イエスマンみたいだね」と言われてましたね(笑)
最初、シェアハウスの家主さんにお会いした際に色々質問され、その後、急に家主さんがいなくなりました(笑)どうやら「あなたはご飯を作れる?」とか「洗濯はできる?」とか聞かれていたみたいで、、、そこから生活がスタートしました。冷蔵庫を開けても何も入っていないし、冷蔵庫の中にあったドレッシングの賞味期限も5年も切れているみたいな状況です。また外では裸足で生活してる子もおり、経験したことのない環境や状況でした。それが最初の壁で「これはヤバいな、日本に電話したいなって思いました。」(笑)。
その後、実は窃盗にあったんです。それがダメ押しとなって、やっぱり日本に電話しようと思い、最初に勉強した英語が、「電話を貸してください。」でした(笑)
「電話を借りてもいいですか?」とか、「電話はどこにありますか?」とか、とりあえず疑問形で、その後は「何々はどこにありますか」、「何々していいですか」となどの疑問系をずっと勉強しました。
そして次は友達を作ろうと思いました。そう過ごしていると、ある猫と出会いました。隣の家で飼われている猫で、いつも私が前を通ると外に出てきてくれて、その猫と毎日喋っていました(笑)それがキッカケで英語力が上達しました。その日あった出来事とかを全部英語で猫に言うんですよ。
また日本にいた時はジブリアニメをずっと見ていたので、それを英語で見て、このシーンは英語でこうやって言うんだなとか、そういうのを覚えることで勉強になりました。
人から学ぶというより、ジブリと猫から英語を学んで、どんどん独り言も英語になり、夢まで英語で見るようになりました。
池田
様々な経験の中で、努力されてきたのですね。
星咲
日本の高校とニュージーランドの高校は違いがあって、クラスというのがあり、20人ぐらい集まります。何組かに分けられていて、それぞれ担任の先生もいるんですけど、それは朝集まるだけのクラスで、その後は全部自分で選択していくクラスになります。だから自分が取りたい授業とか、興味がある授業とか、自分でタイムテーブルを考えて取るという、日本の大学と同じようなシステムみたいな感じでした。
だから、私も興味がある授業を取るので、みんなに会わないんですよね。最初の朝のクラスのメンバーとは。だから、新しいなと思いました。日本だったら、これ嫌いだなとか、自分には向いてないなということまで学ばないといけないじゃないですか。
でも向こうは自分が好きなことだけを学べるから、自分としてもやり易くて。「イングリッシュ」というクラスがありまして、英語を学ばないと思って取ったら、まさかの日本の古典みたいな(笑)オールドイングリッシュを学ぶという謎の授業を取ってしまいまして、それを取った後に知るということもありました。でも、その授業はシェイクスピアの劇をみんなで開こうという、演劇まで学べる授業でした。ただ、私は喋れないので、ただ撃たれるだけの役でしたね(笑)それで「ウワー」とか言っていたら、クラスメートから「君、面白いね」みたいな感じで言われて、少しずつですが友達ができたりしました。
日本だと、小学校や中学校では先生も場所も同じで、そして決められた時間に同じ教室で座学という感じじゃないですか。ニュージーランドでは、自分が取りたい授業を移動して受けることができて、色んな友達もできる、飽きることがないという環境がうまく作られているなと感じました。ニュージーランドには1年滞在し、日本に帰ってきてからは、「いつやるの、いまでしょ」でお馴染みの林先生に受験勉強を教えていただき、塾通いをしてました。その後、大学に入りました。
何が向いているのか、何がしたいのか、自分を思い返した
池田
海外と日本の教育の違いとしては、授業スタイルが違うということでしょうか?
星咲
そうですね、そして風紀に関しても余り言われません。
冒頭で”外で裸足で生活している子もいる”と言いましたが、靴を履かなくても怒られないですし、また学校によると思いますが、私が行った学校は女子高で、髪の毛の色やメイクしたらダメなどはなかったです。普通にピアスを付けたりとか、怒られることもなく、皆が伸び伸びと生きているな、個性が潰されることなく、自分が好きなことをして生きているなというのは強く感じました。女子校だったから、レズビアンの方もいました。そんなの全然気にしていないし、お友達同士で仲良くしているなという感じで、差別感情とかも全く無かったです。多種多様を受け入れていく文化というのが、当時の日本とは全く違うなというのは感じました。
話を戻すと、体育の授業でも、「はい、今からスタートします。何時間後に、この場所に帰ってきなさい」と指示がでて、そしてみんなが走り出して、自由な道を走って、最終的に戻ってくるみたいな感じで。本当に自由ですよね。
皆が色んな本を持ち歩き、大学も行っていたし、偏差値も高かったので、こういう自由な教育こそが個性を伸ばすのかな、と思いました。
最近、黒人と日本人とのハーフの子が、髪の毛を編み込みして出席したのですが、それを先生が怒って、別室で卒業式に参加させたというような話がありました。でも、それはアフリカでは正装なんですから、その子自身は正装だと思って参加している訳ですよ。
これは文化が違う形なのに、見た目とかだけで判断し、その子がそれまでに築き上げてきた、様々な物を全て無しにして、その日の服装だけで決めつけるというのは…。
池田
日本ではブラック校則とかね、ありますよね。だんだんと改善はされてきていますけど。
星咲
私は生まれつき毛が濃くて、まつ毛も人より長めなのですが、それも「マスカラを塗っている」と言われ、荷物検査され、まさにブラック校則ですよね。スカートの丈、靴下の長さなども。女子高なんだから、そういうのはもういいんじゃないかって、思いますよね。日本は、そこで個性を押し殺すんだと。
池田
そんな中、エレナさんは留学も経て、自分の個性を見つけ、研究されて、今は「モデル芸人」というジャンルを開拓されてますよね。
星咲
大学を出る時、みんなと一緒に就職活動をしましたが、個性を押し殺す毎日で違和感しか無かったです。面接官にヒールのつま先が尖っているだけで怒られることもありました。そんな中、就職の道を選びましたが4ヶ月で辞めました。年功序列の組織に違和感を感じたのと、このままでは過労死すると思いました。なんか向いてないのかなとか、本当は何がしたいのかなと自分で思い返したときに、やっぱり昔からずっとしたいと考えていた、モデルとか、皆さんに笑いや笑顔や癒しを届けられる存在になりたいという想いが強かった。そして今の自分があります。
猫との出会い、そして多くの経験
池田
あとは、星咲さんが力を入れられている保護猫活動についても、少しお話いただけますでしょうか?
星咲
私は、祖父の影響もあって、3歳からずっと猫や犬、リス、プレーリードッグ、ハムスター、カメまで飼っていました。そこから動物がいるのが当たり前の人生になって、ずっと周りに猫がいたんです。留学中も英語の上達のきっかけとなった猫と過ごしていました。
大学生になり、一人暮らしをしてた頃、猫を2匹保護したんです。命の大切さを学んできていない人や、とりあえずノリで猫を飼うみたいな人も多いと思います。でも飼ったら飼ったで、もう手に負えないとか、うるさいし、爪を立てるし、夜中は走り回るし、ほとんど家にいないからという理由で捨てる人が多いと思います。その結果、たらい回しされた猫と出会い、保護して飼い始めました。
そうしているうちに、保護したうちの1匹の猫が、ちょうど1年前に亡くなっちゃって…。初めて自分が親みたいな気持ちになりました、本当に悲しかったんです。
その猫の病気がわかったのが1月、最初は輸血の猫を自分で探してくださいと言われ、そこから必死に手術や輸血をしてくれる病院を探したんですけど、やっぱり輸血できる病院が少ない。緊急病院とかも電話しましたが、「血がありません」とかの理由で断られることが多くて、最後の手段だと思ってツイッターで「助けてくださいませんか」と呟いたんですよね。そうすると、すごく拡散されまして、多くのフォロワーさんのおかげで、手術できる病院と輸血してくれる猫ちゃんが無事に見つかって手術を受けることができました。本当に、猫好きのパワーというのはスゴイと改めて感じましたね。私1人でずっと探していたのに、全然見つからなかったのに…。
私と同じように困っているような人が多くいるだろうなと思い、その病院で助けてくださった保護猫団体の方々と病院が繋がっていて、何かあったときは、うちの猫ちゃんを連れて行くのでというので日頃からお世話になっていたりとか、その病院と保護団体の方が連携されていて、その保護猫団体の方と、ツイッターを見てくださったフォロワーの猫ちゃんの血をいただけたんですね。そこで色々協力して下さった方々が、初めて保護団体というのを知りました。もう本当に感謝して、そういう優しさによって心が救われて…。
おかげで手術はできましたが、その後は抗がん剤治療をしたりして、頑張って3ヶ月生きてくれました。それがキッカケで、猫コミュニティを知らない人や、保護猫団体の方々に何か恩返しがしたいな、と思うようになりましたね。
また猫好きじゃない人とか、猫はカワイイと思っているけど飼っていない人とかに、保護猫という存在を広めていきたい、という想いを持っていたときに、池田さんが「保護猫団体さんを紹介したい」という連絡を下さって。そこからですよね、私のこの想いをぶつける先が見つかりました。
ツカネコさんという団体が見つかったことで、この感謝の気持ちを全部ぶつけようと、毎回ご協力させていただいております。お力になれているか、まだ分からないですが、この先自分の愛猫に何かあったときに助けてくれる仲間を作れるような場所とか、保護猫たちの1匹でも多くが、良い家族に巡り合えるような活動とか、猫に募金ができるような場所とか、そういうのをもっともっと広めていきたいと思っています。
池田
ありがとうございます。私も、子供達が、猫や犬に関わって、命の貴さを学んでくれたりとか、自然と学んでもらったりとか、スタッフをされている保護者の方が、多くいらっしゃるので、そのお子さんたちが、もっと楽しんでいただけるようにと思っています。
星咲
このコミュニティのメンバーは本当に良い方ばかりで、毎回来てくださる方が私のことを覚えていて下さり、本当に楽しいです。このコミュニティはプラスにしかならないと思っています。
日頃社会で揉まれてマイナスになっている体が癒されるんですよね、動物によって。
猫好きはいい人しかいないという統計が、私の中でとることができましたので(笑)
「この人、猫好きだな」というのがわかった瞬間、自分のドアをオープンするようになりましたね。今まだ1匹いるんですけど、その子は、他の猫と交わるのは難しいと思うので、また新しく迎えるとなった際には、ツカネコさんからいただこうかなと思っております。
今できることを精一杯させていただこうと思っております。
尼崎青年会議所への期待
池田
私の所属する尼崎青年会議所は、地域奉仕活動をしているんですけど、こういう活動にも関わって欲しいなとか、尼崎の課題に対してどう取り組んで欲しいとか、その要望みたいなものはあったりしますか?
星咲
私、このあまコミュニティというサイトがあるというのを初めて知りました。
池田
今年立ち上がりました、子育て支援をテーマとした新しいサイトなんです。
星咲
私は、このコミュニティのサイトを、もっと色んな人に知ってもらいたいなっていうのを強く思いました。見ていたら、本当に便利ですよね。尼崎の情報が全部取れるし、こんなイベントが週末にあるんだなとか、「新しいお店がオープンしました」とか、様々な情報もありますよね。私は、この尼崎のサイトを広めていきたいな、と思っています。
池田
ありがとうございます。
星咲
尼崎の人同士が繋がれるようなバーとか、池田さんや尼崎青年会議所の方が中心に活動されているあまカフェ会とか、尼崎の方々が集まって交流できているというのは本当に素敵だと思っています。尼崎代表として、私も世界に羽ばたいていけるように頑張っていきます!!
池田
本日は、本当にありがとうございました。
◎モデル芸人 星咲 英玲奈 様 Instagram
https://www.instagram.com/elena23_cat/?hl=ja